Every Little Thingについて想う 第一部

◇はじめに◇
昨年2006年8月に10周年を迎えたEvery Little Thing(以下ELT)。新作アルバムCrispy Parkを引っさげ、現在ツアー「every little thing concert tour 2006-2007 Crispy Park」中で、TVでも精力的に活動中である。3月には武道館での10周年記念ライブも予定されている。
私自身元々彼らの楽曲に対して多少思い入れもあったが、
http://d.hatena.ne.jp/praline_meadow/20060815
ここ数ヶ月は楽曲のみではなくELTというアーティストそのものについても注目するようになった。私がアーティストそのものに興味を持ったのは、過去にはTM NETWORKをおいて他になく、それ以来の事である。
自身でも何故これ程彼らに興味を持ったのか解らないが、切っ掛けは2004年リリースのアルバムcommonplaceに収録された「五月雨」に関する記事をたまたまネット上で目にしたことにあったような気がする。これは現在のELTファンの間では有名な、2002 tour MANY PIECESの真っ最中にELTの二人が国立病院機構徳島病院の難病患者を見舞ったというもので、当時歌詞の内容にも全く気に止める事もなくただ車の中で数度聞き流していただけの、殆ど記憶にさえ残っていなかったこの曲の背景に、よもやそのようなエピソードがあったとは露とも知らなかった。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kansai/yukan/12/news/20060530ddf001070035000c.html
すぐにcommonplaceを引っ張り出して「五月雨」を聴いてみた。メロディーが新鮮に感じ、そしてその歌詞が、持田香織の声が心に染みた。それだけではない。それまでただ聞き流しているだけであった彼らの楽曲の数々を改めて聞き直すと、やはりそこにはELTの心が満ちあふれていた。彼らの楽曲の歌詞に心が動かされたのは、実にTime Goes By以来の事であった。(基本的に私は邦楽を聴く時でも歌詞の内容は滅多に気にしないタイプです)その後もELTの楽曲を聴き、また二人の人柄に関する情報を目にしているうちに、彼らの人間性、そしてファンを大切にする心に、少しずつ魅せられていったのかも知れない。そうして私は彼らが出演したTV番組を見る事も今まで以上に増え、昨年はそんな彼らの「今」を冷静にこの目で、生で確かめようと、ツアーの名古屋公演を見に行ったりもしている。
http://d.hatena.ne.jp/praline_meadow/20061209
 こうして改めてELTの今を見つめるようになった私に目に彼らがどのように映ったのか、それを五十嵐充が在籍していた当時のELTとも比較し、歴史を辿るような形でお話ししたい。

※予め断っておきますが、以下に述べる事はあくまでELTや音楽に対する知識に乏しい私個人の主観ですので、当然異論や反論もあると思います。そう言ったものを排除する考えは私には全くありませんので、こう言った所に誤りがあるよ、こういう考え方はおかしい、とか、自分はこう考える、等のご意見があれば、是非コメントして下さい。



◇五十嵐ELTについて◇
 まずは五十嵐充が在籍していた頃の初期のELT対し、私が当時彼らに感じた魅力、そして欠点について当時私が感じていた事を述べたい。
 五十嵐ELTの魅力は、なんと言ってもノリの良いサウンド、飽きのこないメロディー、そして持田香織のストレートな透き通る歌声にあった。五十嵐ELTの音楽は、何かと小室哲哉の音楽や、ZARDの歌声と比較される事が多いが、私にとってはそれぞれ似て非なるものに感じる。小室哲哉の音楽との決定的な違いは、なんと言っても「飽きが来ない」コード進行とメロディーにある。小室は似たようなコード進行、どこかで聴いたようなフレーズを組み合わせ、或いは使い回ししてヒット曲を短時間で量産する天才であったが(私も昔それに踊らされた一人である)、それに対して天才肌というより秀才肌で完璧主義な五十嵐充は、一“曲”闘魂的な曲を世に送り出し、当時の五十嵐ELTはまさに小室系に飽きた者の受け皿になっていたのではないかと思う。
 また、持田香織のヴォーカルであるが、ストレートで透き通るとは言っても、ZARD程の無味無臭感は無く、どこかに人間臭さを感じられる所も私が魅力を感じていた点の一つだが、これは持田が元々持っている多少ファジー(死語)な性格が歌声に現れた結果であり、しかもそれを上手く活かす事が出来たのも、五十嵐の腕によるところが大きいだろう。そして、歌詞もなかなか秀逸であり、持田香織の作詞にも少なからず影響を与えているのではないかと感じる。
 欠点は?といえば、持田香織の歌唱力特に表現力の乏しさにあると思う。これは当時は秀逸な五十嵐サウンドの陰に隠れてあまり顕著には露呈していなかったが、彼女の歌は、声は確かに良かったのだが表現力に乏しかった。いや、五十嵐充の楽曲が元々表情豊かであり、ボーカリストにはあまり過剰な表現力が求められる事が無かったからであろう。あくまでも彼女は五十嵐が彼女の声域や特徴を踏まえて、歌いやすく、しかも長所を生かしやすく作った楽曲を歌うのに専念すれば良いだけであったので、あまり深い事を考える必要も無かった。
 そしてもう一つ欠点を挙げるとすれば、これは長所でもあるが、五十嵐充の「良い音楽を提供しよう」という意志である。これは現在のELTにも共通する点であるが、実は「良い音楽」=「大衆に支持される音楽」ではない。(これをよく分かっているのが小室でありつんく♂であり、そして現avex社長の松浦であろう。)この意識がある限り、大衆に支持されるヒット曲を量産する事は困難であろう。サザンオールスターズやB'z等長く大衆に支持されている他のアーティストは別である。彼らは決して楽曲の「量産」はしていないし、支持されている理由も、彼らの音楽性が、そして今まで築き上げてきた実績が、たまたま大衆の求めるものと合っているからであろう。
 しかし恐らく当時の五十嵐はヒット曲の量産を求められるような環境下にいたのであろう。それらの周囲からのプレッシャーに対して自身の能力に限界を感じ、ELTを脱退することになる。



◇五十嵐脱退について◇
 直接この話題はELTを語るにあたって避けて通れない話題であろう。私は当時からそれ程のファンでは無かった為、彼のELT脱退について驚き、今後のELTについて多少の心配はしたものの、それ以上について何も知ろうとはしなかった。これから書く事は全て今年になってから知った内容である。
 以下は五十嵐のELT脱退に関する公式コメントである。
Every Little Thing として歩みはじめて4年が経ちました。少しずつ自分の中でプロデュースする事とメンバーとして 参加する事に対してギャップを感じていました。いち音楽製作者としてのクオリティーと将来的なEvery Little Thingの発展を含め、今回、このアルバム(eternity)を機にフロントメンバーとしての 参加を卒業したいと考えました。Every Little Thing をはじめ、プロデュース活動を続けていく事には なんら変わりません。テレビ・ラジオ・雑誌そして コンサート等は一歩引いた立場から見届けたいと思っています。これからも Every Little Thing を暖かく見守って下さい。 宜しくお願い致します」
 この発表はファンにとってだけではなく、他のメンバーである持田と伊藤にとっても突然の出来事であったようだ。
(週間文春 10月18日号インタビュー記事より)
http://homepage2.nifty.com/keitai_mochi_ai/idol_menu/bunsyu_20011010.html

その後のインタビュー等でこの時の心境を二人は以下のように語っている。

持田:
「ツアーの前だったから、『何で!?』っていうより、『どうすんの、ライブ?』っていう感じでしたね。」
「『大丈夫じゃないよぉ。やめるなよぉ。どうしてくれるんだよぉ』っていう感じもあって(笑)、悲しさと怒りといろんなものがゴチャゴチャだった。」
「やっぱね、五十嵐さんの気持ちを考えることができなかったですね。いろんな思いがあったにせよ、急に---急ではなかったのかもしれないけれど、ちょっとね、悔しかったですね。急遽3人でやることになったEvery Little Thingという形でも、やってきたものがあったし、それに耳を傾けてくれたり、心を寄せてくれた人たちがいたってことをどうするんだろうなあって。」
伊藤:
「映画を撮ってる最中に監督が降りて、俳優だけが取り残された感じでした」
「五十嵐が抜けたときは自分たちがどうのっていうより、周りの人のことがすごく心配でしたね。すでにツアーも決まってましたから、チケットを買ってくれてる人は不安に思うだろうなと。」

 上記リンクを載せた週間文春の持田のインタビューや、最近公開されたavexの松浦社長のblogの記事「avex way 1988I〜2005」の第七章でも語られているが、実は当初より五十嵐は自分がデビューするつもりはなく、プロデューサーとして大成したいと考えていたらしい。しかし当時専務だった松浦より「彼女(持田)はガツガツした性格じゃないので、ピン(ひとり)よりユニットにした方がいいんじゃないか?お前も出ちゃえばいいじゃん。」(一度表舞台に出て、表に出る人の気持ちを知っていた方が良い。いずれプロデュースするにしても、アーティストの気持ちが分からないだろう。だからステージに立って勉強しておいた方が良い。)という言葉に動かされ、デビューを決意したという。そうしてELTメンバーとしてデビューした五十嵐であったが、恐らく何れは・・・という気持ちがあったのだろう。それはともかくデビュー当初はスタッフやメンバーを含め、一丸となって「この声を世間に広めたい」という気持ちで頑張っていたらしい。一方その歌声の持ち主である持田はというと、元々バンドマンであった伊藤とは違いあまり曲の制作には携わらず、与えられた楽曲を精一杯歌う事だけに専念していたという(話についていけず漫画ばかり読んでいたという本人談もあるが・・・)。しかしそうしているうちに持田に少しずつアーティストとしての意識が芽生えてきた。曲に対しても曲の題名や歌詞、歌い方などについて色々と意見を出すようになった。作詞などを試みるようになり、今のELTの代名詞でもある感謝の気持ちをのせたアルバムTime to Destination収録曲All alongの歌詞が出来た時には思わず涙したとも語っている。また「ライブに来てくれるファンに最高の声を聞かせたい」という気持ちで単独NYに渡りヴォイストレーニングをしたりなど、自身の声を磨く努力もしている。
 そして五十嵐自身は当時のことを以下のように振り返っている。
「『Over and Over』99年1月を作っている頃からでしょうか、僕の作る曲と持田のイメージが自分の中でリンクしなくなってきたんです。詞にも楽曲にも限界を感じ始めて、リアリティを感じなくなってきた。分かりやすくいうと詩の内容が僕自身のことを歌っているかも知れないと感じ始めたんです。それまでは彼女のキャラクターを踏まえつつ、彼女に歌わせたい世界を書いていたんですが、どんどんギャップが出てきた。
悩んで自分を追い詰めてしまって、ある時、何でこんなことで悩んでいるんだろうと思って、最終的に作家に専念しようということを決めました。結果的にはあの時に抜けてよかったと思っています。二人も新たな方向を見つけられたし、そのままだったら共倒れになっていたと思うんです。」
(ORIGINAL CONFIDENCE PRODUCER INTERVIEW 2002.7.22号より)
http://www.miri.ne.jp/~hajime/IGACHAN.html
 恐らく彼には様々なプレッシャーが掛かっていたのだろう。苦労してやっとブレイクの切っ掛けをつかめたDear My Friend、そしてFor the Momentから始まるヒット曲の数々。そうしているうちに、意識が「売れたい」という攻めの姿勢からから「売れなければならない」という守りの姿勢へと変わっていく。会社からも「売れる」事を要求される為、天才肌ではない、いや、天才的な音楽を嫌う彼にとってはかなり大きなプレッシャーとなっていた。一方自身の楽曲を歌う立場の持田との意見の相違、そしてそれ故の自身の曲を持田に歌わせた際のリアリティーの無さ。過去には持田は何も考えずに、単なる「スピーカー」として五十嵐の楽曲を歌っていたが、当然「曲の制作に携わりたい」「こう歌いたい」という意識が現れれば、それと違う事を要求されれば歌にリアリティーが無くなるのは当然である。これは私の妄想になるが、「何も知らないのに、外側からの意見で一々口出さないで欲しい。もし口を出すならもっと音楽の勉強をして、その上で逆にもっと制作の場に入ってきて欲しい。」これが当時の五十嵐の持田に対する本音だったのではないか。
 他にも理由は色々とあったのだろう。そうして五十嵐はELTを脱退した。しかしこの突然の脱退がELTの他のメンバーとの間で痼りとなったのか、「Every Little Thing をはじめ、プロデュース活動を続けていく」という公式コメントとは裏腹に、その後一切関わる事は無かった。
 私はこの五十嵐の決断は、残されたELTにとってはともかく、彼にとっては時期尚早だったと考える。理由は彼が未だプロデューサーとして大成しているとは言えないからである。彼はELT在籍中に大橋りえや、脱退後にdreamや浜崎あゆみへの楽曲提供、Day after Tomorrowサウンドプロデューサーなどの活動をしていたが、Day after Tomorrow解散後は、2005年に、上述したavex松浦社長のブログで紹介されたavex社内向け資料「avex way 1988I〜2005」にコメントを載せた以外はほぼ沈黙状態である。これではプロデューサーとして成功を続けているとは言い難い。こればかりは何とも言えないが、後数年間ELTのプロデューサーとして活動を続けた後、メンバー全て納得のメインメンバーとしての脱退をすれば、実績も積め、彼の状況は少し違ったものになったのではないか?
 しかしそれでは持田も今のように楽曲制作に積極的に関わる事も無く、ELTの姿もずいぶんと違ったものになっていたかもしれない。



Every Little Thingについて想う 第二部 へ続く)